医療機関によるセカンドレイプと望ましい治療のあり方
PTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えている方は、医療機関でセカンドレイプを受けることが多いようです。それで、「自分に合うお医者さんでなかったら、(病院に)行かない方が良い」という話もよく聞かれます。
外傷性記憶というのは、言葉をもたない凍り付いた記憶です。それはショックや混乱や拒絶感が大きすぎて、上手く処理できていない記憶なのです。医療者によっては、PTSD患者の外傷性記憶を封印して、考えないようにさせようとしますが、そうして外傷体験を未消化、未処理のままにしておく時間が長くなると、心が傷だらけで他人とうまく接することができない状態も長引き、次々と新たに傷付くことも起こり、自分の生活から実質的に失われていくものが増える、ということもあります。そうすると、ますます追い詰められるようになり、時間をかけて人格が崩壊していく危険もあるような気がします。
原則的にはフラッシュバックが起ったり、嫌でも外傷性記憶が蘇ってくることには、自己治癒的な面があるはずだと私は思います。どうすれば自分の心が回復するかは、意外と自分の心自身が知っていて、そのために必要な事を自分に要求してきているのかもしれません。つまり、外傷体験がひどい場合、その記憶をそのまま封印すると、自我に妙な歪が残るから、嫌でもフラッシュバックなどが起こして処理させるということです。ジュディス・ハーマンが指摘しているように、外傷体験を乗り越えるには、「真理を証言する」ことが必要だと思います。そして、心は何とかそれをしようとしています。PTSD患者が、少しでも心が楽になることをするのを、周囲の人たちが妨害したり、否定したりせず、ひたすら肯定して頷き同調するというだけで、PTSDはかなり早く回復すると思われるのに、それに逆行することが行われがちなのではないかと思います。
PTSD患者が、外傷体験をいつまでも引きずり、いつまでも口にしていると、理解のない医療者や家族は、「こうしていつまでも思い出しているから、PTSDが治らないのだ」と、正反対の誤解をします。患者の家族だけでなく、医師までがPTSDに無理解なのは、PTSDがただの嫌な体験によるショックだと勘違いされているからだと思います。しかし前回の記事にも書いたように、外傷体験後、半年以上経っても治らないようなPTSDの場合、それは自己と世界観の崩壊によって引き起こされているはずです。破壊されて壊れている自己が、気分転換に何かしてもPTSDは解消しません。PTSDの克服のためには、自己とその世界の再構築が行われなくてはならないから、時間がかかるのです。そしてそのためには、起こったことの意味が何らかの仕方で了解され、未処理の外傷体験が、なるべく適切な仕方で処理される必要があります。最低でも自分自身の中で、「真理」と「正義」が回復されなくてはならないのです。それは事件についての本人自身による「正しい認識」と「言語化」に基づいたもので、「復讐」ではありません。周囲の人々が、PTSD患者の外傷性記憶を封じ込め、黙らせようとする態度は、場合によってはPTSD患者を否定し、追い詰め、症状を慢性化させると思います。
特に外傷体験が何らかの犯罪的な事件である場合、しばしば加害者が自分の犯罪を隠蔽するために、被害者に「忘れて、無かったことにしろ。誰にも喋るな」という圧力をかけています。この同じ圧力を、医療者や家族が一緒になってかけてくることは、被害者にとってゾッとすることなのです。
PTSDの持続エクスポージャー療法―トラウマ体験の情動処理のために
- 作者: エドナ・B.フォア,バーバラ・O.ロスバウム,エリザベス・A.ヘンブリー,Edna B. Foa,Barbara O. Rothbaum,Elizabeth A. Hembree,金吉晴,小西聖子,石丸径一郎,寺島瞳,本田りえ
- 出版社/メーカー: 星和書店
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望ましいPTSD治療のあり方
ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復』より、PTSD治療として望ましいと考えられるあり方について述べられている部分を引用します。
治療者は患者の反応を正常化し、ものごとをその名で呼ぶこと、言葉を使うことをしやすくし、外傷の感情的な重荷を共に担うようにしなさい。治療者はまた、生存者の価値と威厳とを肯定するような、外傷体験の新たな解釈を構築する助けをしなければならない。治療者にアドヴァイスをするとしたらどういうことを言いたいと思いますかと尋ねられた生存者がいちばんよく言うのは、治療者が真実性の確認役をしてほしいということである。ある近親姦の生存者は治療者にこう助言している。すなわち「語るように励ましつづけてください。語る姿を見るに忍びなくても、です。信じるまでにはずいぶん時間がかかります。私がそれについて語れば語るほど、それが間違いなく起こったと思えるようになり、それを統合できるようになる。絶えず、“大丈夫だよ” といってもらうことは非常に大切である。独りぼっちのどうしようもなくか弱かった少女だったという感じから遠ざけてもらうことなら何でも大切である」。(p.279)
フラターニティ(男子学生友好会)のパーティで輪姦された大学一年生、十八歳のステファニーの例はストーリーの具体的細部を一つ一つ洗うことの重要性を教えてくれる。すなわち――
ステファニーが最初に物語を始めた時、治療者はレイプの何ともいいようのない残虐さに恐れをなした。それは二時間以上も続いたのである。しかし、ステファニーにとって最悪の拷問であったのは、攻撃が終わり、レイピストたちが「これは今までに最高のセックスだった」と言えと圧力をかけた時であった。無感覚になり自動的に彼女はいうとおりにした。それから恥辱を覚え、自己嫌悪では吐きそうになった。
治療者はこれに「マインド・レイプ」という名を付けた。無感覚になるのは恐怖に対して反応しているのだと治療者は説明し、怖いという感情を意識していたかと尋ねた。ステファニーはここで新しいことを思い出した。レイピストは「おまえが “完全に満足なセックスでした” といわなければもういっぺんレイプしなおしてやろうか」と脅迫したのであった。この情報が加わったので、彼女が言うとおりにしたのも、ただ自分を卑しくしたのではなくて逃走を早める戦略だったと納得するようになれた。(p.280)*1
患者も治療者も、双方ともが魔術的な変化、外傷という悪の粛清を願う気持ちはわかる。精神療法はしかし、外傷を厄介払いすることではない。外傷物語を再話する目的は人格への統合であって、悪魔祓いではない。なるほど再構成の過程で外傷ストーリーの内容は一種の変化を起こすが、それはもっと現実的、もっと現在的になるという意味以外ではない。精神療法実践の基本的前提は、真実を語ることが自然治癒力を持つと信じることにある。
語ることによって外傷ストーリーは証言となる。インゲル・アッゲルとセーレン・イェンセンとは政治的迫害の生存者の難民を治療して、証言が治療儀式として普遍性を持つことを記している。証言は私的な次元のものでもある。すなわち精神的なもの、告白である。と同時に公的な面もある。すなわち政治的、審判的である。「証言 testimony」という言葉はこの双方を一つにあわせ、患者の個人的体験に新たな、より大きな次元を付与する。リチャード・モリカは外傷ストーリーがこのように変化した場合には、それを単純に「ニュー・ストーリー」と呼んでいる。それは「もはや恥辱と屈従の物語ではなく」「威信と徳性の物語である」。そのストーリー・テリングをつうじてモリカの難民患者は「失っていた世界を取り戻した」。(p.283)
*1:加害者がレイプした被害者を、さらに虐待するということがあるのは、加害者によほどの性的劣等感がある場合だと考えられます。自分が女性をレイプしておいて、その女性が性的満足を感じていないと、自分が傷付くという、どこまでも自己中心的な精神構造をしているようです。もちろん、パーソナリティ障害がある人です。