歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

DV、モラハラ被害者が支配を脱するきっかけ

 ネットの記事の中にDV加害者についてのものがありました。DVもストーカーもモラハラも、加害者が自己愛性人格障害者だとすると、同じような話になりますね。

 

自己愛性人格障害は悪人です。


そして「治らない」土台が既に間違っているのに、「育てなおし」なんて、「彼ら」に逃げ道を与えて騙されないで。
自分がやった悪行を「彼ら」は忘れる。
忘れて無かった事にするのに、何故「育てなおし」ができる?

 

・・・確かに、DVをする人間は、理解しずらい。理解するために「それなりの理由」を探すでしょう。でも、「彼らに 理由 はない」 「殴りたいから殴る。強いて言うなら、相手がはいつくばって命乞いをする惨めな姿をみると、自分が全能になった気がするから、殴るんです。ストレス解消のサンドバック。自分で処理できないほど幼稚な人格だからです。

・・・「彼ら」は、そういう脳の構造をしている。罪悪感や情を持っている というのは、幻想です。
その振りをしているだけです。
既に器質的に脳のその部分に既に異常がある。自分で破壊したんです。

どうか、「彼らは病気」で「選択することができなかった被害者」だから、同情すべきもので「私が治そう」などど幻想もたないで。
十分選択できたし、自分で選択した結果が今の「彼ら」だから。
自分の人生を「彼ら」の為に犠牲にしないで。

私や母がかたわにならず、生きているのは「運が良かったから」と死なれたら金が入らなくなるから(母実家から)顔にあまり傷がないのは、守ったから。と表にみえる部分は、姉と父は傷をつけない。(姉には意識して顔を狙われた)

だから、そんな記事を見て、「私がもう少し頑張れば、この人を救えるかも。私さえ我慢すれば・・」などと思わず、早く逃げて下さい。
もしかしたら・・と思って「逃げ遅れると本当に大変な事になる」

自己愛性人格障害は間違いなく悪人です。

 

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 家族が自己愛性人格障害者を自覚させ、話の通じる人にすることはできないと思います。精神構造が違うから、常人の精神構造を前提に話をしたところで、無理なのです。常人から見て何も問題がないようなところでも、自己自身の中で処理しきれないほどのコンプレックスを抱えていて、身近な人は、それを処理するための道具になってしまいます。「私が力になろう」などと思ったら(でも、家族なら普通はそれが当たり前なのですが)、いいように憑りつかれ、良いものをすべて吸い尽くされます。しかも、被害者からムリヤリ良いものを吸い尽くしたあげく、それを自分で泥だらけにして、破壊して、怒って投げつけてきて、被害者から見て訳の分からない恨みの感情を抱き続ける、何かそういうパターンのことを平気でしてくるのが自己愛性人格障害者です。

 

 自己愛性人格障害者を変えようとすると、問題が大きくなり、関係が悪化するのがオチです。自己愛性人格障害者を変えようとすることにより、かえって相手の精神的支配から、ますます抜け出られなくなることもあると思います。一つには、ますます支配を強めようとしてくるからです。もう一つは、モラハラやDVの被害者が、加害者を変えようとするのは、加害者と上手くやっていきたいからで、相手はここに付け込んでくるからです。自己愛性人格障害者は、相手と上手くやる気などなく、ただ支配したいだけです。だから、被害者が自己愛性人格障害者に自分と上手くやってもらいたいと思っているだけで、それに応えようとしないというかたちで、支配できてしまうのです。

 

 自己愛性人格障害者は、自分の事にしろ、相手の事にしろ、やたらと美的に理想化して見せますが、それは自分の価値を高め、自分の中から悪いものを切り捨てて、無いことにするための病的な手段でしかありません。いっとき理想化していた相手であっても、価値を貶めた方が自分が傷付かなくて済むという話になれば、そうしてくるというのが実態です。

 

 自己愛的な格障構造の持ち主は変質的な人間なのだと知り、「仲が良かった頃の状態に戻ってくれたらとか、話を分かってくれたら」といった幻想を捨てることが、被害者が相手からの精神的支配を脱するきっかけとなるのではないかという気がします。DVにしろ、モラハラにしろ、ストーカーにしろ、被害者が異常者によって苦しめられている場合、加害者の異常性を理解することが、被害から立ち直るために必要なことだと思います。

 

 この記事を書かれている方は、また次のようにも書いていらっしゃいます。

 

「嘘」つきまくって、母や私を悪者にするって、「悪人」でしょう。

一番怖かったのは、暴言吐きまくって、私や母が今見聞きした事と違うことを後で言い、私達の五感を疑わせるような真似をしたこと。
本当に、本当に、気が狂いそうだった。
自分が知っている事実が、姉と父の言葉では「違う」だからお前が思い違いをしている。本当にそう見えた(聞いた)なら、お前の頭がおかしい。と言われ続けた事。
私も母も、赤の他人を証人にしなければならなかった。(だから必要以上に、「馬鹿正直で嘘はつかない」「正義感が強すぎる」今の私達がある。)

 

 これは完全な「モラハラ」ですよね。肉体的な暴力でない分、加害者は易々と頻繁にこうしたことを行ないますが、このように異常な事をされることにより、被害者の精神は本当に破壊されます。自分が悪者にならないように、被害者の方がおかしい、被害者の方が悪い、という話にしてくるのは、本当に卑怯です。

 

 自己愛性人格障害者は、卑怯です。彼らは実際に正しい人、立派な人になろうとしないで、ただ話の上でだけ正しく、立派な人だということにできるような策略を、ほとんど無意識レベルで、いつも行っています。そんなことばかりしているうちに、卑怯な人になってしまうのです。卑怯な手を使えば、いくらでも簡単にできますから。

 

 それから、上の記事に書かれていて、今回割愛した点について。DV加害者がもともと虐待を受けていた被害者だという指摘があり(1割弱~4割弱だそうです)、精神科医などから加害者が擁護されていたり、虐待の被害者が将来の加害者予備軍であるような偏見をもたれかねないという問題があります。これは一面では加害をやむを得ないものとし、また一面では被害者の尊厳を貶めることです。被害者はただでも尊厳を貶められています。その一方で、加害者は自分を正当化します。自己愛性人格障害者はしばしば被害妄想をもちます。それに加担し、加害者を助長させるような話を精神科医がするのは、被害者にとって、さぞ悍ましいことでしょう。加害ー被害関係が単純明快でないと、明らかな被害に遭っている人を救うことができません。