歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

PTSDを引き起こすトラウマ体験とは?

 前回引用したのは心理療法家の笠原敏雄氏のサイトからでしたが、私はこちらの先生が、PTSD心的外傷後ストレス障害)を「科学的根拠を欠いた臆説」とみなす仕方に疑問を感じました。

 

 PTSDについて考察するなら、PTSDが、被害者にとって実際にどういう意味をもつ事件によって発症しているかを調べるべきだと思います。単に生死にかかわる事件を取り上げるなら、そこからいくらでもPTSDを否定する結論は出されます(PTSD理論の根本的問題点)。死に直面するような出来事に遭ったからといって、PTSDにならないのは当たり前です。臨死体験が人生にポジティブな意味をもたらすこともあるくらいです。

 

 確かにWikipediaを見ても、PTSDを引き起こす体験が「命の安全が脅かされるような出来事(戦争、天災、事故、犯罪、虐待など)」とされています。*1  しかし、ジュディス・ハーマンもPTSDの原因となる外傷体験としている性被害は、必ずしも命の安全が脅かされるものではありません。性被害から立ち直れないのは、殺されかけたのが嫌だった、というのとは違うはずです。また、ひどいモラルハラスメントを受けて、PTSDになるケースもあります。戦争でも、天災でも、レイプでも、その内容が個々のケースで異なっているのは当たり前で(たとえば、被害者が何を失ったかとか、何がその人にとってかけがえのないもので、何を汚されることが深刻か、ということは、それぞれのケースで違っているはずです)、一概に外面的に何が起こればPTSDになる、というものではなく、個々のケースにおいて、どういう状況で何が起こったかということが問題なのです。*2

 

 私は、PTSDの本質を一般化して言うなら、常軌を逸した悪による人格の尊厳の破壊、もしくはそうした悪に触れることによって起こる世界観の崩壊だと思っています。「命の安全が脅かされるような出来事」というのは、そのような状況の中で悪い要因が重なると、人格の尊厳や世界観の破壊が起こりやすいからだと思います。逆に、直接、命の危険に直面しなくても、後から自殺したいと思ったところで、死んでも死にきれないほど嫌な事、というのもあるものです。死ぬより嫌な事、「そんな経験などせずに一生を終わらせたかった」と思うような悍ましい事をされた場合、当然PTSDになります(そういう意味で、PTSDにつながるような外傷体験は、生死の問題を突きつけられる事件です)。

 

 私たちにとって、人格の尊厳と世界理解(そこには善悪の基準、信仰、人間に対する信頼といったものが含まれます)は一朝一夕に出来上がったものではありません。それが根底から破壊されるような事をされたら、立て直すまでの数ヶ月から数年(深刻な場合は数十年)は、自分自身が失われた状態になってしまいます。というのも、「自分」というものの本質は、人格の尊厳と世界理解だからです。これが損なわれ、汚されることは、魂が損なわれ、汚されることです。逆に、魂が汚されることがなければ、死に直面することは怖ろしいことなんかではないと言ってもいいくらいです。

 

echo168.hatenablog.com

 

*1:DSM-IVによるPTSDの診断基準でも、次のようになっています。「以下の2条件を備えた外傷的出来事を体験したことがある。1.実際に死亡したり重傷を負ったりするような(あるいは危うくそのような目に遭いそうな)出来事を、あるいは自分や他人の身体が損なわれるような危機状況を、体験ないし目撃したか、そうした出来事や状況に直面した。2.当人が示す反応としては、強い恐怖心や無力感や戦慄がある。【備考】子どもの場合には、むしろ行動の混乱ないし興奮という形で表出することもある。」

*2:それなのに、こちらの先生はPTSDをもたらす外傷体験に外面的な統一がないことをもって、PTSD理論の問題点としているようです(PTSD理論の内部構造)。PTSDという障害が存在しないのではなく、PTSDをもたらす外傷体験を、外面的な括り方で定義しようとする仕方に問題があると思います。