歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

卑怯なやり方で、人を支配できる構造をつくるモラハラ加害者

 モラハラ加害者が被害者を支配できるのは、能力があるからでも、優れているからでもなく、単に卑怯だからです。「モラル・ハラスメント」という言葉を作ったマリー=フランス・イルゴイエンヌは、そのやり方を「変質的」だと言っています。原語の "pervers" には「邪悪な」といった意味もありますが、モラハラ加害者のやり方は何といってもまず卑怯で、相手が物事を簡単に投げ出してしまう性格でなければ、簡単に支配できてしまいます。今回は、モラハラ加害者が被害者を容易に支配できてしまう構造についてまとめます。

  

1.①支配の段階と②暴力の段階

 

 イルゴイエンヌによると、モラル・ハラスメントには①支配の段階と②暴力の段階とがあります。夫婦間のモラハラの場合は、①の支配の前に、まず被害者を誘惑して、自分と結婚させるわけですが。

 

 ①支配の段階では、被害者に対する悪意は巧妙に隠蔽されており、加害者が被害者を貶める言動をして被害者が傷付くのは、すべて被害者の性格のせいだとされます。つまり、「冗談が通じない」とか「気にしすぎだ」とか「性格がおかしい」とか、「精神的に問題がある」とかいう話にされ、被害者は、「何だかよく分からないが、加害者が機嫌が悪いのは私がいけないせいらしい」と思わされます。これが①支配の段階で、被害者は劣等感を刺激され、自分を直そう、加害者に気に入られるようにしようと思って、それに合わせた言動をとるようになります。

 

 しかし、被害者が加害者の悪意に気づいたり、これ以上我慢できなくなったりして、加害者に抵抗するようになると、②暴力の段階(肉体的な暴力ではなく、精神的な暴力)に入ります。この段階では、加害者は悪意をあらわにしますが、自分の憎しみを正当化するのに、<被害者が自分を攻撃したからだ>という論法を使います。被害妄想のように、何でも被害者のせいだという話にします。

 

 被害者の精神にとって、とりわけ破壊的なのは、<加害者の悪意が隠されている>(加害者に悪意があるのではなく、もっぱら被害者が<悪い>ことになる)という点です。すぐに悪意をあらわにして怒鳴り散らすのであれば(それも十分すぎるほど不愉快なことではありますが)、被害者は(また、他の家族なども)、はじめから「加害者が怒りっぽすぎて、悪い」と思えるので、自分を性格や能力に、さほど劣等感を感じなくて済みます。

 

 逆に言えば、そうした悪い自己イメージに耐えられない性格のモラハラ加害者が、自分の怒りっぽさや心の狭さという、非難されるべき性質を隠して、被害者の劣等性ゆえに、自分を苛立たせるのだという話にしようとしてくる、というわけです。

※ 加害者が悪意を隠し、自分でも認めようとしないのは、相手のもっているものに対する羨望が自分の劣等感を刺激するといった、うしろめたい感情がその本質だからです。それを認めると、加害者自身の自己イメージが悪くなってしまうので、自分にそんな感情はないことにして、被害者のほうに憎まれるべきものがあるという話にするのです。

 

2.職場のモラハラ

 

 職場ではもう少し状況が複雑ですが、イルゴイエンヌは部下たち全員に威張り散らすハラスメントは、モラル・ハラスメントではないとしています(日本でも、これは「パワハラ」ということになるでしょう)。

 

 しかし、職場にもモラル・ハラスメントがあり、それは個人を対象に、<加害者の悪意が隠されて>始まります。その場合、表向きには加害者は被害者を陥れようという意図を持っていないことになっており、被害者の能力がないのがいけないとか、被害者の性格がおかしいとかいう話にされます。しかし、実際にそんな事ばかり言われているうちに、被害者はストレスで能力を発揮できなくなり、本当に仕事ができなくなったり、精神が参ってきたりします。そして、加害者に抵抗するようになると、加害者は力づくでそれを抑えつけようとして、モラル・ハラスメントが①支配の段階から②暴力の段階に入ります。その時は、敵意もあらわに攻撃されます。ただし、その段階では周囲の人々も、被害者がダメだから問題が起こっている、という目で見るようになっていたりします。そして、本当に被害者は浮かび上がれなくなります。

 

3.被害者は非難されたとおりの状態になっていく

 

 家庭の場合も、職場の場合も、モラル・ハラスメントが恐いのは、加害者が非難するとおりの状態(つまり、被害者がダメだ、被害者が悪い)に、実際に被害者がなってしまうということです。それも、精神的に破壊されて、そうした状態になっている、ということです。

 

4.自分の悪意をはっきりさせない、卑怯なやり方

 

 被害者の精神が、なぜそこまで破壊されるかというと、加害者が自分の悪意を隠して、二重の意味のあるメッセージを出すからです。そうしたことをされると、被害者は頭が混乱し、どちらの意味に取っていいのか分からなくなります。戦うべき人物を相手にしているという状態が理解できず、普通に上手くやろうとしてしまいます。

 

 私たちは当然のこととして、自分が結婚している相手とは仲良くしていこうと思いますし、職場では上司とうまくやっていこうします。被害者はその当たり前のことをしようとしているだけなのですが、加害者は<それに応じてやらない>という仕方で、被害者に意地悪をし、<歩み寄ってもらいたければ、俺の気に入るようにしろ>というメッセージを出して、被害者を支配してきます。つまり、被害者がトラブルを避けようとするだけで、加害者は被害者を脅し、支配する関係ができてしまいます。

 

 戦いの場面でも何でもなく、被害者にその気が全くないのに、加害者のほうが<戦って征服しよう>という態勢を密かに取っているのですから、加害者が被害者を支配してしまうのは当たり前です。加害者が被害者を支配するのは、能力があるからでも何でもなく、単に卑怯だからです。それなのに、モラハラ加害者たちというのは、自分が人を支配できるのは、自分が優れているからだと思うのです。

 

※ また、モラハラ加害者は、何がどういけないのか決して言葉でハッキリ言わず、問題点を曖昧にしていたり、被害者の人格全体を貶めるような非難をしてきます(つまり、被害者が直しようがない、また反論しようがないという仕方で、攻撃してくるということです)。

 

5.被害者は正常な感覚を失い、精神を病む

 

 被害者は、そんな変な仕方で支配関係を作ろうとしている人のことなど分かりませんから、<何か本当に自分にいけないことがあって、相手が気にいらないのだろう>と考えてしまいます。そして、加害者にほのめかされたり、「言われなければ分からないのか。考えてみろ」などと言われたりして、自分の悪いところを探してしまいます。すると、人間などというものは完全なわけがありませんから、何かしら心当たりが出てきます。こうなると加害者は、<おまえがダメだ>という自分の主張の正当性を確信します。被害者はこうして、正常な感覚が狂わされているところで、<ダメだ>という攻撃を受け、それを真に受けていくようになります。不当な劣等感や罪悪感を持たされること自体が問題ですが、それ以前に、正常な感覚を壊されているということが、精神に対する打撃になっています。被害者は、加害者の意図が分からずに戸惑わされたり、加害者の非難に正当な根拠があるかのように思わされたりしています。そして被害者が一旦、加害者の非難に根拠があると思ってしまえば、加害者は被害者を傷つけたいだけ、傷つけることができてしまいます。

 

 また、被害者が状況を改善しようと努力すればするほど、加害者はその努力を無にしてやろうという意地悪ができてしまいます。被害者は努力すればするほど、自分の失敗を突きつけられ、無力感を味わわされます。被害者が、自分がした結婚を幸せなものにするために(あるいは、加害者から攻撃されないようにするために)、相手と上手くやろうとすればするほど、それに応じようとせず、被害者を認めようとしないという加害者の意地悪は、力を増していくのです。*1

 

 モラハラの加害者は、②の暴力の最終段階に入ると、<どうすれば相手の息の根を止めてしまえるか?>と本気で考えてくるような人です。人の息を止めるのに、刃物などは要りません。<これを台無しにしてやれば、相手は自分の人生に価値がなかったことを思い知って落胆するだろう>と、何かそのように思うことがあえば、それをしてきます。なにしろ、自分が人の心を傷つけてやれた、自分が人に対してそこまでの力をふるうことができた、自分の羨望の対象となるものを破壊してやれた、と思うと、征服感や全能感を感じて嬉しくなる人たちなのですから。

 

 しかも、彼らの言い分では、被害者が自分に対して攻撃をしてきたから、当然だと言うのです。自己正当化の方便のように見える場合もありますが、彼らは基本的に被害妄想的に実際にそうだと思い込んでおり、周囲の人たちにも被害者がいかに悪いか、という話をします。

 

 そういうわけですので、配偶者がモラハラ加害者である場合は、できれば早いうちに離婚することです。

*1:「これらの患者(Rosenfeldが提唱する自己愛パーソナリティ)は、他のすべての人を破滅するときにのみ、とりわけ、彼らを愛する人の努力を無効にするときに安心し勝利感を覚える」(O.F.カーンバーグ『重症パーソナリティ障害―精神療法的方略』, 現代精神分析双書, 第Ⅱ期第19巻, 岩崎学術出版社, 1996年, p.138)。