歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

<加害者にされる>被害(および<被害者が悪者にされる>被害)

 

存在しない事件の<加害者>にされる

 

 妄想的な人に絡まれると、存在しない事件の<加害者>にされます。世間では「火のない所に煙は立たない」と思われていますので、すっきり解決するのが難しく、しばしば良くてもグレーゾーンであるかのような判断をされます。

 

 完全な妄想性障害でなくても、たとえばある種の人格障害者は被害妄想を抱きやすいですし、自己愛性人格障害者が人にモラハラをする時なども、自分の形勢が不利になると、自分が被害者のふりをします。事実関係を正反対にされて、被害者が<加害者>に仕立て上げられます。

 

 マリー=フランス・イルゴイエンヌ『モラル・ハラスメントが人も社会もダメにする』(紀伊國屋書店, 2003年)に、次のようなケースが載っていたので引用します。

 

読者からの手紙

 《私はある病院の経営をしていますが、女性事務員のひとりから、公的な形でモラル・ハラスメントを受けています。悪夢はその事務員が患者の名簿を使って、通院患者のところに<どんな病気にも効く奇跡の薬>とやらを売りにいったところから始まりました。もちろん、そんなことは絶対に許されないことなので、私は<重大な過失>を理由にその女性を解雇しました。もちろん、薬を売りつけられた三十人ほどの患者さんの証言もあります。ところが、その女性は、自分の身を守るために、なんとセクシュアル・ハラスメントをされたと言って、私を訴えてきたのです。これについては、七年も前から控訴院で裁判が続いています。というのも、向こうの弁護士が裁判を遅らせて、なかなか結審しないようにしているからです。そのためには、偽の証人を仕立てあげることまでします。弁護士も証人も同じ組織の仲間なのです。そうして、法廷にやってきては、私とは会ったこともない人が、私が行ったこともない場所で、私がしてもいないことをしたと証言するのです。

 もちろん、私のほうだって証拠はきちんとありますし、証人もたくさんいます。しかし、女性の訴えを聞いた労働裁判所は、法的にはなんの根拠もなく、私に有罪の判決を下し、仮執行を行いました。もっともこの判決は、<先入観にとらわれている>、<法律的に誤っている可能性がある>という理由で、控訴院によって取り消されましたが・・・。

 それにしても、労働裁判所ではどうしてそんな誤った判断を下してしまったのでしょう?それはマスコミが、この手の事件が起きるたびに、経営者を悪者と決めつけ、訴えた側を<ひどい経営者からセクシュアル・ハラスメントを受けたかわいそうな被害者>に仕立てて同情するからです。経営者のほうが普通の人間で、女性側の奸計にはまって金をむしりとられているとか、私のように何もしていないのに、悪夢のなかで苦しんでいる場合があるとかは、それこそ考えたこともないのです。

 こんな状態では、いくら私が声を大にして、「自分は無実だ」と叫んでも、人々は信用してくれません。火のないところに煙は立たないと考えるのがオチなのです。女性の言葉はみんなが効いてくれますが、女性に中傷されてモラル・ハラスメントにあった経営者の言葉には耳も傾けてくれないのです》(pp.150-151)

 

虚偽の訴えをする人 

 

 イルゴイエンヌによれば、そうした虚偽の訴えをするのは、妄想症ぎみ(とりわけ被害妄想ぎみの人)と<自己愛的な変質者>です(前掲書, pp.100-104, 496)。自分が被害者になれば、失敗をして困難な状況に陥っても、責任を免れて、文句を言うことができます。罪悪感をもたずに済み、同情を買うことができます(前掲書, p.96)。相手を悪者として糾弾するという<正義>を装いながら、相手を打ち負かすことができます。<自己愛的な変質者>は、とりわけモラル・ハラスメントの加害者になりやすい人でもあります。

 

<本物の被害者>と<自称被害者>である加害者の違い

 

 <本物の被害者>と<自称被害者>である加害者が異なるのは、次の点です。

 

  • 典型的な<妄想症>の場合は、好戦的。
  • <妄想症の人>の場合は、問題が解決されることを望まず、被害を訴える状況が長続きすることを望む(たとえば、果てしない訴訟)。
  • <本物の被害者>は自分の行動に非はなかったかと反省する。そのため、状況が悪化して手遅れになるまで、行動を起こせないことが多い(※その気持ちが強すぎると精神的な被害が大きくなり、PTSDになったりします)。
  • <本物の被害者>の目的は、人間として失われた尊厳を取り戻し、現在の苦しみに終止符を打つことであって、相手を糾弾することではない。
  • <妄想症の人>は、自分が被害にあったことを疑ったりせずに、迷わず判断して、相手を糾弾する。
  • <自己愛的な変質者>の場合、他人を貶めて満足にひたるために、相手を<加害者>に仕立てる。

 

 一言でいえば、<本物の被害者>が被害を申し立てる目的は、被害状態を解消し、損害を最小限にし、自分の尊厳を取り戻すことであるのに対し、<自称被害者>の目的は、ターゲットを攻撃して打ち負かして満足することです。

 

 精神科医として、私はよくそういった人々を診察室に迎えることがあるが、その人たちは――本当か嘘か――被害にあったことを私に説明すると、どうやったら、その<加害者>を痛い目にあわせることができるか、その方法を訪ねてくる。「自分にも悪いところがあったのではないか」などとはひと言もいわない。彼らの目的は、相手に復讐して、相手を傷つけることだけである。そこで、私が「そんな方法は知らない」と答えると、たいての場合は怒って出ていく。そうでなければ、「この仕返しはしてやるからな」と私を脅すこともある。(p.103)

 

 自己愛性人格障害者の場合、被害者が自分の支配を脱しようとして抵抗することは自分に対する<攻撃>と感じられることなので、本当に被害者意識を持ちます(被害妄想)。つまり、被害者が「攻撃をやめてください」と言うと、加害者は「善人の俺を悪者扱いするとは許せない」となるのです。 そして、自己愛憤怒を募らせて、高圧的な態度を取ってきます。

 

高圧的に<冤罪>を主張する悪人

  このように、妄想症の人などによる<存在しない事件の加害者にされる>被害がある一方で、<存在している事件の加害者が「冤罪」だと主張して、言い逃れをする>ことがあります。

 特に、それまで被害者に対する悪事を行ってきた<自己愛的な変質者>は、被害者に訴えられて、自分の悪事がバラされると、自分の悪事がなかったことにするのと同時に被害者に「復讐」をするために、被害者が悪質な人間で、自分は<冤罪>の被害者だ、と言ったりします。

 

 上に引用したケースとは逆ですが、よくセクハラ事件で、そうしたケースがあります。特に、被害者が加害者になかなか抵抗できずに悪質な被害に巻き込まれるケースでは、加害者が自己愛性人格障害者である可能性があります(自己愛性人格障害者はよくセクハラ、DVの加害者になると言われます)。そうした場合、被害者はセクハラを受けている間、報復に対する恐怖心で委縮してしまいますし、加害者を怒らせずに解放してもらおうとして、通常なら奇妙に見える<迎合的な対処行動>を行います。

 

 加害者が自己愛性人格障害者の場合は、被害者にセクハラを訴えられると冤罪だとして言い逃れをするだけでなく、被害者から「ストーカー行為を受けていた」と言って、被害者をストーカーに仕立てることもあります。被害者は危害を受けてきた上で、社会的にも濡れ衣を着せされて黙らされます。

 

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 相手が自己愛性人格障害者でも、妄想症の人でも、被害者はこうした完全に倒錯した世界に引きずり込まれ、さんざん危害を受けてきた上で濡れ衣まで着せられるので、第三者に上手く話を説明するのも困難になります。犯罪的な被害を受けていても、PTSDがひどかったりすると、被害者は人前で説明すること自体ができなくなり、警察に相談したり、訴えを起こしたりすることもできなくなります。

 

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