歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

性的被害と「男尊女卑」

 被害にはジャンルというものがあって、「セクハラ」、「DV」、「レイプ」、「性虐待」、「ストーカー」、「痴漢」、「モラハラ」、「パワハラ」、「いじめ」などありますが、程度や質の悪さなどは、ケースによって違います。そのため、名前としては同じジャンルの被害に遭っている人の中に、比較的容易に事を済ませられる人と、深刻なPTSDを発症してしまう人と、混じってくることがあるだろうと思います。この違いは、被害者自身の価値観の違いにもよるだろうと思います。その被害によって奪われたものが、被害者の人生の中でどれだけの価値を持っていたかは、それぞれのケースで違うでしょう。

 

 でも、多分それ以上に問題なのは加害者のあり方ではないかという気が、私はしています。*1 相手が簡単に怒りそうな人で、怒ると腹いせをしてくるような人が、ゾッとする顔を垣間見せてきたり、卑怯な手を使ってきたり、あまりに下品で変態的な事で、された方が恥ずかしくなるような事をしてきたりする場合があります。そうした変質的なケースと、もう少し普通の人が正面からやってきて、被害者も正面から拒絶したり闘ったりする機会が与えられている場合とがあるのではないでしょうか。あるいは、表立って拒絶したり闘ったりするような大騒ぎまでしなくても、ちょっと嫌な顔をしただけで、やめてもらえる場合もあると思います。

 

 問題は、たまたま抑制心のない人から不正な事をされた、ということではありません。変態的でない欲求なら、人間には誰にでも何らかの欲求はあります。どちらかというと、「そこに何の意味があるんだろう?」と思わせるような、普通の人には意味の分からない事をしてくる人の方が悍ましいのです。

 

 特に、女性にとって嫌なのは、<スティグマ(汚らわしい烙印)を押された>という、あの取り返しがつかないような感覚です。この正体は、一体何なのでしょう? 何か<人間として、されてはいけない事>をされたという感覚なのです。つまり、相手は何か<人間として、してはいけない事>をする人で、そういう事をしてきた、ということです。

 

 しばしばタチの悪い加害者は、根底に何か男尊女卑的な感覚を持っているような気がします。その<男尊女卑>というのは、自分のちっぽけなナルシシズムを満足させ、安心させるために、女性を無力化させてしまおうとするような種類のものです。そこで確保されているものが、女性から見てあまりに矮小であることに、女性は傷付くのだと思います。きっと、その<矮小なもの>を突き詰めていくと、そこにあるのは格好悪いコンプレックスや嫉妬心にすぎないのではないかと、疑いたくなってきます。男性自身が内心、そこに後ろめたさを感じていて、そのために屁理屈じみた大義名分を掲げて、自分を正当化してくる――そういう場合の<男尊女卑>は、私は一種の<投影>による逆転現象ではないかと思います。男性の矮小さを立派に見せるために、女性が卑しまれているのですから。こういう<男尊女卑>感覚の男性は、自分の思いや行為に対して女性が従順でないと、立場を逆転させて女性を悪者にして攻撃してきます。

 

 こうした冒瀆的な精神を持っている男性からの性的な攻撃というのは、女性にとって耐え難いものです。そういう種類の人ではなく、ただ抑制心が低くて欲求を抑えられずにやってきてしまう男性は、女性ももう少し余裕をもって、「キモチ悪い」とか言っていられるのですが・・・。

 

 ところで、この「キモチ悪い」という表現ですが、これは相手とかなり距離がある場合の表現だと思います。たとえばナメクジが30センチ離れた所にいたら、「キモチ悪い」。変な人をテレビで見ている時は、「キモチ悪い」。でも、巨大ナメクジが自分の皮膚にへばり付いて、何をやってもどうしても離れないという状況になったら、「キモチ悪い」などと悠長なことは言っていられません。恐怖や拒絶感が限度を越すと、「キモチ悪い」という言葉は、もはや出てきません。第一、女性は男性に面と向かって「キモチ悪い」とは言いません。それは決して「OKだった」という意味ではありません。性犯罪やセクハラ加害者の男性は、「合意だった」と言うのをやめて欲しいと思います。

*1:身体に傷が残るような事をされたり殺されたりするのでないかぎり、上に列挙した被害は主に精神的な被害だと思うのですが、一般的に精神医学者は被害者と加害者の関係を全く問題にしていないような気がします。たとえば自分の困った患者が周囲の人にどういう影響を及ぼしているか、考えたこともなさそうだし、患者が被害者の場合は、症状を抑えるための薬を処方することしか考えません。しかし、被作用(被害)があったということは作用(加害)があったということで、作用と被作用とは一対で、加害者が精神的に変だから変な事をしているのだとすれば、被害者には当然の精神的被害が起こります。変な人から変な事をされれば、変な精神状態になるものです。その関係を問題外にされてしまうと、被害者は心理的な被害を自分ひとりの責任として背負わされます。