歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

栗原心愛ちゃん虐待死事件、勇一郎被告の裁判の記事を読んで

 DV男らしい言い草が並んでいるな、と思いました。

 自己正当化を行い、責任を被害者に押し付け、自分の暴力を矮小化する――これがDV加害者の基本的態度です。裁判になどならなくても、日常的にそうです。認識が歪んでいるので、自分でそう思い込んでいますし、普段から被害者にもそう思い込ませようとしています。被害者はそれだけでも頭が変になります。

 

 母親が勇一郎被告の性格について、「自分の意見を意固地に通そうとすることはあった。注意しても正義はこうあるべきだと理屈で責められると言い返せなくなる」と話していました。
 もともと、勇一郎被告に頑なな性格があったということです。自分の言い分を通すことを「正義」とし、相手が言い返せなくなるような屁理屈を言うというのは、人に対して操作的だということです。
 勇一郎被告自身も、自分の性格を「きっちりやらないと気が済まない性格」と言っています。そして、虐待した理由についても、「心愛に言ったことは最後までやらせようとする気持ちが強く、何か心愛が言ってもやらせようという理由で虐待しました」と言っています。

 

 夫婦間のDVでも、よく「妻が言うことをきかない」と言って虐待しますが、大概、DV男の言うことにはルールが多すぎたり、規則が朝令暮改で整合性がなかったりして、非虐待者はDV男の言うことを、とても守り切れません。
 しかし、もし第三者が加害者からだけ話を聞くと、どれほど聞き分けのない子どもや妻なのか、と思わせられるような話し方をします。あるいは、被害者が理解しがたい変な人に見えます。虐待者と非虐待者の話は、正反対になります。

 

 勇一郎被告は、自分以外の証言者たちは皆嘘をついている、心愛ちゃんも嘘をついていたと言っています。そして、「自分は事実を言っている」と主張しています。しかし、この「事実」というのは怪しいのです。たとえば自分が相手を脅した結果、相手が何かをすると言っているだけでも、相手が自分で言ったという話になり、その最後の部分だけを盾にとって、相手に責任を擦り付けてしまいます。

 勇一郎被告は、心愛ちゃんが「夜中に騒いだ」、「自分から立っていると言った」、「屈伸すると言った」、「駆け足をやると言った」、「心愛ちゃんがお漏らしをした後片づけを一緒にすることになった。そこで心愛ちゃんが暴れ始めた」と、すべての責任を被害者に押し付けています。しかし、そもそもトイレにすら行けないようにすること自体、一体、どこまで酷い虐待かと思います。

 

 年明けに心愛ちゃんの母親にしたとされる暴力についても否定しており、「妻が暴言を吐き、胸倉をつかんできた」と話し、母親が子どもたちを蹴ったりしたから、守ろうとしたと言ったようです。

 しばしばDV加害者は、自分が暴力を振るって、相手がそれに抵抗しただけで、相手の抵抗を自分への暴力だと感じます。

 妄想的になればなるほど、相手が恐怖のあまり暴れたり、抵抗しようとしたりしているのが分からず、相手と対等な喧嘩でもしているつもりになります。
 勇一郎被告も、心愛ちゃんがなぜ大声で騒ぐのか分からなかったと言っているところがあります。
 こういう人たちは、被害者が恐怖のあまり必死になっていても、相手の身になって考える視点など皆無で、自分の執念しかありませんから、被害者が自分に対抗してきているとでも錯覚し、ますます本気になって被害者を打ちのめそうとします。

 

 そういうわけで、妄想的なDV加害者と、客観的な事実は正反対に食い違うのですが、加害者は自分の錯覚や主観に対して都合のいい相手の言動を盾に取り、それを「事実」だと主張しますし、自分でも「事実」だと思い込みます。これは単に第三者に対して言い逃れをするためだけでなく、自分でも自分の邪悪さに目を向けたくないからなのです。

 

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追記(3/8): もう一つ、この被告が冷酷だと感じるのは、自分のことでしか泣いていないところです。自分の立場を語る時や、自分の母親がやってきた時だけは涙を見せるけれど、それ以外は表情すら変えないというのですから・・・。

 

 

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