歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

加害者に罪悪感はないのか?

DVやモラル・ハラスメントなどの加害者は、相手を傷付けていることに罪悪感を感じてはいません。とはいえ、タイプによって、そのあり方は違っています。

 

まず一つのタイプは、反社会性パーソナリティ障害などがある、サディスティックなタイプですが、こちらはDVやストーキングなどの加害者全体の中のごく一部です(バンクロフトによれば、DV加害者のうちの5%程度*1)。最悪の、最も危険な人たちで、基本的にはハラスメントを行うタイプというより、犯罪者の部類に属する人たちです。

このタイプの加害者は、被害者を痛めつけることに快感を感じており、悪い事をしても良心は痛まず、むしろ優越感や万能感、超人感を覚えます。相手に対する恨みなどなくても、残虐なことが出来てしまう人たちです。

 

このような仕方で良心がない人たちは一部に過ぎませんが、それ以外の加害者たちも、良心の痛みは感じていません。なぜかと言うと、加害者たちは「自分は正しく、相手が悪い」と思い込んでおり、「悪者をやっつけて、思い知らせてやるのは正義だ」という気持ちでいるからです

 

非常に多くの加害者に、被害妄想的な傾向があります。加害者は、自分自身の中にある悪意や攻撃性を相手に投影したり、自分の落ち度を相手に責任転嫁したりすることによって、相手を「悪者」に仕立て上げています。それに納得のいかない被害者が抵抗すると、加害者は自分の方が相手からの被害に遭っていると感じるようになります。「自分はいつも我慢している」「自分は寛容だ」「それなのに、いくら言っても相手が言うことを聞かない」と本気で思い込んでいる加害者は、結構大勢いるのではないかと思います。

 

人間は、「悪者」をやっつけて、二度と立ち上がれなくなるまで徹底的に痛めつけても、それは「正義」だと感じます。自分が「悪者」だと思う相手に破壊的な打撃を与えても、良心が痛むどころか、むしろ「当然すべき事をしている」としか思いませんそして、そこに快感を覚えます。相手を傷つけて懲らしめたいと思っているので、相手が傷つくと喜びます。

 

このような加害者が、もしも良心の呵責を感じることがあるとしたら、それは自分の考えが全て事実と正反対の思い違いで、自分が傷つけている相手が、実は何の罪もない善人だということが分かる時なのでしょう。

 

しかし加害者は、これだけは絶対に認めません。なぜなら、相手が悪くないとしたら、自分が悪いということになるからです。そして、自分の中に劣悪性を認めたくないというのが、そもそも加害者が被害者に最初に投影や責任転嫁をして、被害者を攻撃し始めた理由だからです。

 

つまり加害者には良心や罪悪感がないというよりも、むしろ自分の罪悪や劣悪性を感じまいとする気持ちが強すぎて、それを感じないで済むように、相手に罪を擦り付け、むりやり相手にそれを引き受けさせようとして攻撃し、それに抵抗する被害者に対する攻撃をエスカレートさせているのです。

そして、自分の罪悪を認めまいとするあまり、事実を正反対に歪めて認識するので、「悪者」であるはずの被害者を傷つけていても、まったく罪悪感は覚えないということです。

 

でも、これは最初にあげたタイプのように「そもそも良心がない」というのとは違っていて、自分が自分の罪悪や劣悪性を認められないということなので、このタイプの加害者は、第三者に対して親切にしたり、正義や道徳を説いたり、また機嫌の良い時は自分の都合の良い範囲で、被害者に対しても善意や良心を向けたりします。

特に外では自分が立派に見えるように、「正義」や「親切」や「分別」や「知性」の人として振る舞い、人々からの信頼を得ているということも多いかもしれません。

 

被害者は、加害者にある種の「善意」や「良心」があるのが分かるので、加害者が間違いに気づき、自分に対していかに理不尽かを理解すれば、変わってくれるだろうと期待するかもしれませんしかし、この期待は裏切られ、被害者は「なんで、こんな当たり前のことが分からないのか?」と、不思議に思うことになるでしょう。

 

というのも、加害者は道理や理屈でものを考えているわけではなく、自分の言い分を押し通すための屁理屈を用いることで頭がいっぱいだからです。加害者は、自分が長年行ってきた劣悪な言動を認めてしまうと、自分が軽蔑に値する人間だという事実に直面してしまうので、自分の間違いを認めることは絶対にできないのです。

 

*1:ランディ・バンクロフト『DV・虐待加害者の実体を知る』, 明石書店, 2008年, p. 104.