歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

モラハラ・DV・ハラスメントの加害者心理 ― 自分の実像を直視できない ―

モラハラやDVの被害に遭っている皆さんは、加害者がくだらない事で喚き散らしている時、「なんてみっともないんだろう」と思わないでしょうか。

あるいは、加害者の思い上がりを「なんて格好悪いんだろう」と思わないでしょうか。

もし自分がそんなみっともない、格好悪い人だったら、絶対に嫌ですよね。

 

ある意味では、まさにその理由で、加害者は自分の実像を決して認めようとしません。

 

それで、自分の劣悪な実像に直面する事態が起こると、事実の方を歪めて解釈し、悪い結果の責任を他人に転嫁し、他人を攻撃します。

自分は正しいはずだという思いが強すぎるあまり、記憶までもが別のものにすり替わります。

間違いを指摘されても、絶対に認めません。

自分に都合の悪い事実を見ないためなら、どんな攻撃もしてきます。

彼らが「反省」と呼んでいるものは、ただの「後悔」です。

 

 

邪悪性の根源にあるナルシシズム

 

『平気でうそをつく人たち――虚偽と邪悪の心理学――』(森英明訳, 草思社, 1996年)の中で、著者のM・スコット・ペックは、人間の悪の心理学的問題の中核が、ある種のナルシシズムにあることを指摘しています。

 

みずからのナルシシズムによって、自分には何も悪いところはなく、自分は心理的に完全な人間の見本だと信じるというのが、邪悪な人間の特性である。(p. 170)

 

 

自分に非がないとすれば、何か間違いが起こるのは、すべて他人のせいだということになります。ペックはこの本の中で、次のようにも言っています。

 

自身の不完全性を認識できないこうした人間は、他人を非難することによって自分の欠陥の言い逃れをせざるをえない。また、必要とあれば正義の名において他人を破滅させることすらこうした人間はする。(前掲書, p. 312)

 

ペックによれば、邪悪な人たちの根本的な欠陥は、「自分の罪悪を認めることを拒否すること」にあります(前掲書, p. 94)。

 

邪悪な人間は、自責の念――つまり、自分の罪、不当性、欠陥にたいする苦痛を伴った認識――に苦しむことを拒否し、投影や罪の転嫁によって自分の苦痛を他人に負わせる。(前掲書, p. 172)

 

モラル・ハラスメントの提唱者イルゴイエンヌも、「自己愛的な変質者」である加害者について、次のように指摘しています。

 

もし自分に欠点があることに気づいたら、不安が精神病のレベルにまで高まってしまう(マリー=フランス・イルゴイエンヌ『モラル・ハラスメント人を傷つけずにはいられない―』, 高野優訳, 紀伊國屋書店, 1999年, p. 216)。

 

彼らは、こうして自分の劣等な実像を見ないようにし、いつも自己正当化のための屁理屈をこね、自分の非を改めることもないので、未熟で劣悪な人格が、いつまで経っても変わらず、精神的に成長しません。

長年そうしてきてしまっているので、ますます自分の劣った実像を認められません。

 

 

外面の良さ

 

彼らの外面が良いのは、幻想的に美しい自分の虚像を、他の人たちにも共有させるためです。

彼らの見せかけを信じて受け入れる人たちは、彼らをそうした人物として重んじてくれます。

そのような人間関係においては、<虚像>が実体化され、作り話が事実としての実行力をもつようになります。

そのため、彼らは大変な熱意でもって偽装して、自分を善い人間に見せかけます。

 

ペックによれば、邪悪な人たちは、善人に見られることを強烈に望んでいます(ペック, 前掲書,  p. 100)。

逆に、自己の劣悪性という事実に直面し、人目にも自分自身にも、それが明らかになることを恐れています。

 

彼らは、その見せかけが破れ、世間や自分自身に自分がさらけだされるのを恐れているのである。(前掲書, p. 174)

 

邪悪な人たちは、光――自分の正体を明らかにする善の光、自分自身をさらけだす精察の光、彼らの欺まんを見抜く真実の光――を嫌う。(前掲書, p. 102)