被害者に落ち度はあるのか?
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被害者が陥りがちな自責感
PTSD(心的外傷後ストレス障害)になるような事件の被害者は、自分がそうした被害を避けられなかったことに対して、後悔が尽きません。「なぜ、あの時こうしなかったのか」、「なぜ、あんな人を信用してしまったのか」、といった後悔から、「自分がバカだった」と思ってしまいます。
これは、加害者の主張と一致してしまいます。加害者は、自分はさほど悪くないと思っていて、「こんな目に遭っても仕方がないような事を、被害者自身がしたのだ」と言ってくるのです。
そして、事情を知らない第三者までもが、なんとなくそういう目で見てきます。ひどい事件になればなるほど、誰でも気を付けるような事を被害者が気を付けなかったから、そういう目に遭ったのだ、と思われがちです。自分は危険な事はしないから大丈夫だと思って、安心したいという心理が働くからなのかもしれません。
こうして、被害者は自分自身でも、また加害者からも、また第三者からも、「被害を避けられなかったのは、バカだったからだ」と思わされることになり、ただでも傷付いているのに、更に自尊心が傷つけられます。
被害者にとっては、まず、この点を回復させる必要があると思います。何となく「自分がバカだった」という漠然とした罪責感は、外傷体験となった事件を分析することにより、因果的な必然性へと解体されます。つまり、「何がどうだったから、自分は当然のこととして、このようにした」という筋道が明確にされることにより、被害が自分自身の個人的な落ち度のせいではなかったということが、明らかになるのです。そして、まずこれだけでも、被害者が自尊感情を回復させる、重要な手掛かりになると思います。
ところで、被害者が重篤なPTSDを発症することになるような事件ほど、その加害者は、常識内での悪人ではないでしょう。そうした意味でも、常識内で生きている人が、そうした悪人から目を付けられた場合、今までほとんど誰も聞いたことのないような危険に対処しなくてはならないのですから、悍ましい結果になっても、それは被害者が「バカだった」からではないのです。
普通、人間には「人にこんな事までは、してはいけない」と感じる一線があって、それを超えることをしてしまうのが悪人です。といっても、常識内での悪人は、自分が追求する利益が確保されるかぎりにおいて、そうした事をしています。その場合、被害者は悔しい思いをしますが、加害者がなんでそんな事をしてきたのかは、嫌というほど理解できます。
それに対して、常識を超える悪人というのがいて、それはつまり完全な異常者です。そういう人たちは邪悪な猟奇性ゆえに、普通の人には何の利益があるのか無いのかも分からないような事のために、「人にこんな事は、してはいけない」という事を平気でしてしまいます。その異常性については、それなりの解明方法がありますが、それを扱うのは別の機会にして、ここでは人格構造が常人と異なっていて、思考回路や脈絡が違うのだとだけ言っておきます。
思考回路が違う人に対して、常識で対応し、被害を避けようとしても、そんなことはできるわけがありません。こうした人からの攻撃をかわそうと思ったら、同じ思考回路で考えるしかありませんが、普通の人には、それは想像もつきません。
普通に考えられるような落ち度がないからこそ、被害者は当たり前のことが信じられなくなり、ひどい混乱状態に陥るのです。