歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

変質者の卑怯なやり方に、被害者は心理的に追い詰められる

矢川冬『もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて』

もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて

もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて

 

 

 矢川冬さん(ブログ:性虐待と闘う、矢川冬の場合)のご著書を読ませて頂きました。矢川さんは、父親による性虐待というものが一般に知られていなかった55年前、10歳から2年間にわたって被害を受けてこられました。まえがきにある著者の言葉が事柄の深刻さを物語っています。

 

 子どもの被害者は、自分が悪いから罰を受けているのだと感じます。被害者が子どもから大人に成長すると、暴力が性の問題に変容していきます。そこから始まる長い、長い混乱の人生が待っています。・・・なぜ、父親がそのようなことをするのか理由が知りたかった。子どもの頃私は毎日図書館と本屋に通い手がかりを探しました。けれども、見つけることはできませんでした。55年前の本屋には私の体験を読み解いてくれる書物は皆無でした。・・・PTSDを併発しながらの20年では、自分の心の整理がつけられない、まして裁判など起こすエネルギーはどこにもありませんでした。当時はもちろん教えてくれる支援者もいませんでした。

 

 はじめて24歳のときに、入院した精神科の医師に打ち明けると「なにを馬鹿なことを言っている。お父さん、お母さんを大事にしなさい」、「甘えるな」、と非難されたそうです(患者に対して、こんな心理虐待にあたるような事を言う精神科医は、実に恐ろしいですね。しかもその医者は後に性虐待支援に乗り出したとか・・・恐怖ですね)。滅多に聞かないようなひどい被害に遭ってしまうと、人に理解もされず、被害者だとも認めてもらえません。そして、心の傷を抱えているために、その歪みが次々と新たに傷つけられる状況を作っていきます。

 

性虐待からのトラウマが他の数々の性暴力や言葉の暴力を引き寄せていく過程は、腐った果物にハエがたかる様子そのままです。

 

 これは必ずしも原因が性虐待でなくても、長期に及ぶひどいPTSDになっている人たちに当て嵌まることだと思います。これだからPTSDは恐ろしいです。

 何十年もかけてトラウマを乗り越えていく過程で、困難を極める問題を熟慮され、整理されてきたからだと思いますが、矢川さんの文章には見事な表現力があります。何らかのトラウマでPTSDになっている人は読んでいて胸を締め付けられるかもしれませんが、「これだ!私が言いたかったことは!」と思わされる、いくつもの表現に出会うだろうと思います。PTSDになっている人は、辛くても、自分の外傷体験を整理して語れるようになるという課題を背負います。あとがきに「私はこの本を遺言書のつもりで書きました」とありますが、矢川さんが被害当事者の立場から、こうした美しい一冊の本を完成させ、出版されたことを、心から祝福したい気持ちでいっぱいになりました。また、ジュディス・ハーマンも指摘していることですが、PTSDを発症するようなケースには不思議な現象があって、自分の体験を語るという被害者の課題は、社会的な使命をも担ってきます。言葉を持たないような忌まわしい事件に遭った被害者たちは、言葉を待っているのです。互いに了解可能な言語表現を。そしてそこから社会的通念が形成されることを。

 

加害者研究の必要性

 専門家たちはもっと加害者側の研究をする必要があります。加害者たちが患者として表面化しないから仕事として成立しないなら、公的な資金を加害者研究に導入すべきです。

 

 全く同感です。人がPTSDになるような事をしてくる加害者は、性格異常者です。どういうメカニズムで何が起こっているのか、それが明らかにされないと、まるで被害者が勝手に一人でおかしくなっているようかのようです。PTSDを理解していない精神科医は、その人自身の性格のせいで、いつまでも問題を引きずっているかのように思って、患者の方を非難しかねません。おそらく精神科医は、患者としてやってくるのが被害者だから、被害者の精神状態にしか関心をもたず、何の薬をどのくらい出せば良いかということしか、考えません。しかし、本当は精神科医なら、加害者がどのように異常だから、その影響を受ける人にどういう異常心理が生じるか、説明できて当然です。それなのに、なんで精神医学の知識のない被害者(それも、ショックと混乱で恐慌状態を来している被害者)が、何が起こっているかを自分で理解し、他人にも分かるように説明をして、被害を受けた事を証明し、自己を釈明し、自尊心を取り戻すという、この大仕事をなさなければならないのか、と思います。専門家が、自分が勉強してきているはずの知識をもって、その場でパッとそれをやってくれれば、被害者は重いPTSDになどならずに、自尊心を取り戻していけるのです(モラル・ハラスメントという一つの分野において、そうした観点に立った研究をしてくれた精神医学者が、マリー=フランス・イルゴイエンヌだと思います)。

 

 まだ私の憶測にすぎませんが、変質的な事を、ものすごく卑怯なやり方でやってくる加害者には、自己愛性人格障害者(それも、恐らく潜在型)が多いのではないかという気がしています。自己愛性人格障害者は滅多に自分が精神科にかかることはありません。精神科での自己愛性人格障害についての臨床例は少ないようです。精神科医の町沢氏によれば、彼らが精神科を受診するのは、主に「うつ病」の症状が出たときです。私は思うのですが、精神科の現状を見るかぎり、彼らは初診で「うつ病」の診断がされたら、おそらく後はひたすら抗うつ剤をもらいに通ってくるくらいで、医者の方でも彼らが自己愛性人格障害かどうかまでは把握しないのではないでしょうか。自己愛性人格障害だと分かったところで、それは治らないから。

 自己愛性人格障害者が、自分が精神科に行かなくてはならないような精神状態にならないのは、自分が落ち込んでしまわないようにするための防衛機制がたくさん働いているからです。しかし、この変な心理機能のため、本人は良くても、周囲の人たちが嫌な目に遭います。特に潜在型の自己愛性人格障害者は、一見自分が正当であるように見せるため、ありとあらゆる変な工夫をしてきます(顕在型は、<自分は偉いんだぞ>という態度を取りますが)。自己愛性人格障害についての知識のある精神医学者は、彼らがセクハラ、DV、ストーカーの加害者になりがちなのを知っているし、代償行為で周囲の人に当り散らしたりしていることを知っているのに、まさにそのために精神を病んで精神科を受診する被害者に、何でしかるべき説明をしようとしないのか、不思議です。被害者は、加害者がどのように異常なのか、自分がどのように何の落ち度もないか、理解する必要があります。

 

変質者の卑怯なやり方に、被害者は心理的に追い詰められる

 矢川さんのご本から、被害者の頭がおかしくなる異常な事件の特徴について大きなヒントが与えられ、問題の核心に近づくことができました。被害者が悍ましい事に巻き込まれる経緯、パターンというのがありそうです。上でも少し触れましたが、それは、加害者がものすごく卑怯な仕方で、変質的な事をしてくることに原因があります。モラル・ハラスメントや、その要素のあるセクハラなどにも、下に列挙する特徴が当て嵌まってきそうです(モラハラ的な要素のあるセクハラというのは、たとえば<スポーツの指導者が、「マッサージをする」と言って、被害者の身体に触れてくる>といった、被害者が即座の判断に苦しむようなケースです)。*1

 

1.加害者はコソコソしていて卑怯。自分はいつでも言い逃れができるようにしている。

2.相手が何をされているのか理解できない仕方でやってくる。(児童に対する性虐待の場合は、相手が子どもで、理解力をもたない。そして、寝ている時を狙う等。セクハラの場合は、被害者が判断に苦しむ紛らわしい行為をする。モラル・ハラスメントの要素がある場合は、相手に自分の悪意を隠す。) また、相手が本当の変質者で、やっている事が人間離れしていればいるほど、被害者は何が起こっているのか、理解できないし、それを表現できる言葉ももたない。

3.被害者が何となく事情を把握して、問題にしようとした時に生じる気まずさを、被害者の方の心理的負担として、被害者に負わせる。そうしたことになってしまう理由は、

 ① 被害者の方が恥ずかしい目に遭わされている。

 ② 上述の1.2.の理由から、被害者は自分が悪くて変な事になっていると思ってしまう。

 ③ 事態が把握できない間、我慢して黙ってきてしまった場合、被害者は自分の心理情況を上手く説明できないため、変な<秘密>を加害者と共有する形で負わされることになる。それは、自分でも説明できないような事を、他人が理解してくれるとは思えないからでもある。

4.加害者は、被害者が<人間として、されてはいけない事をされた>というスティグマ感(汚らわしい烙印)を受けるような事をする。

 

 こうして、加害者がコッソリと卑怯な仕方で恥ずべきことをしてくる場合、被害者の方が恥ずかしい目に遭わされるだけでなく、すぐに問題にして騒ぐことができなかった事が、被害者自身の落ち度とされ、後々厄介な問題に発展します。セクハラの場合は、「合意だった」という話にされてしまいます。特に、4の<スティグマ感>があって、2の<事情が理解できない>という両方の要素があると、被害者は加害者と一緒になって、<なかった事にしよう>という意識が働いてしまいます。<スティグマ>を受けるような忌まわしい事をされたということを、被害者は決して受け容れたくないからです。しかし、被害が進むにつれて、被害者にも徐々に事態が把握されていきます。ですが、その時には被害者は、<そんな事までされているのに黙ってきた>という立場に立たされています。それも、自分でも<秘密>のように感じさせられてしまったために・・・。されている事が滅多に聞かれないほど変質的であればあるほど、世界中で自分ひとりがこんな目に遭っているという屈辱的な思いがして、ますます言えなくなります。(加害者のタチが悪い場合、この間、被害者がされてきた事を、「被害者の方で望んでいた」と主張します。)

 

 この<変質メカニズム>については、やっと今分かってきたばかりですので、もっと解明していければ良いかもしれません。

*1:「痴漢」で言えば、満員電車の中などで、たまにちょっと触りながら、万が一問いただされたら、たまたま手が当たっただけだ、という顔をする痴漢が同種の卑怯さをもっていますが、この程度の痴漢行為は、簡単に避けることもできますし、心理的な問題は生じてこないと思います。セクハラのようなものになってくると、もっと狡猾で恫喝的で、執拗だったりします。