歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

PTSDの本質と、そこからの回復(PTSDの本質は、人格の尊厳と世界観の崩壊)

  • 猟奇的な邪悪さによる被害が、重篤PTSDにつながる

 

 前回の記事の続きです。

 

 普通の人には、「人に、こんな事はしてはいけない」と感じさせる一線があって、それを越えてしまうのが悪人だという話を書きました。その一線の越え方にも二通りあって、明らかな利害のためにそうしている場合と、常人には何の意味があるのか訳が分からず、猟奇的としか言いようがない場合とがあります。特に、後者のような被害に遭った人は、自分が汚されたと感じるだけでなく、頭の中まで破壊されます。自分が知っている常識によって成り立っていた世界、安心して人との関係を築いてきた世界も崩壊します。

 

 おそらくPTSD心的外傷後ストレス障害)にも二通りあります。一般的にPTSDを引き起こすのは、強い恐怖、無力感、孤立無援感を伴う出来事だとされますが、しばらくすればショックが治まっていくものと、場合によっては一時的な外傷体験であっても、被害者の混乱と拒絶感と喪失感が大きすぎて回復せず、慢性化していってしまうものがあると思います。

 

 そのように重篤PTSDを引き起こすのは、通常の利害関係の対立として理解できるような害悪ではなく、常軌を逸した奇怪な悪人による被害ではないかと思います。猟奇的な悪を、人間は「汚らわしい」「忌まわしい」「悍ましい」と感じるもので、そのような被害に遭ってしまうと、「自分が汚された」「忌まわしい存在になった」と感じます。そこで、たとえばちょうど大事な服に、悍ましい汚物を塗り付けられたら、もうその服は捨てるしかなくなる、というのと同じように、汚された自分の汚さに、自分自身が耐えられず、自分で自分を捨てるしかなくなるのです。被害者に起こるこの自己喪失が、PTSDの極めて深刻な症状ではないかと思います。

 

 こうして、身の毛のよだつ猟奇的な悪によって自分が滅茶苦茶にされたと感じる時、被害者はとてつもない恐怖とショックを覚えるし、自分が汚されて、保持できなくなってしまったと感じます。そして、加害が常人の理解を絶した悪によるものだと、そのような悪が存在する世界をどのように受け入れて、乗り越えて良いのかまるで分からず、そのまま、どうしようもなくなるのです。周りのどこを見ても、そんな事をされた人は一人もいない、というような事をされると、自分一人が情けなくなります。

 

 たとえば男女関係のもつれのあげく、ゾッとする仕方で女性を傷めつけるストーカーもいますが、男性の中には、自分が勝手に偶像化し、妄想を抱いていた女性が、自分を恐れて遠ざかろうとしただけで、不愉快に思って態度を豹変させ、その女性を凌辱し、嘲弄して、口封じの脅迫をして去っていく、という悍ましいストーカーもいるのです。邪悪で精神的に未熟な精神異常者は、喪失感や自分がしたことの罪悪感、恥辱感に堪えられず、自分がそうしたネガティブな気分にならなくて済むように、相手を貶めて征服し、支配し、軽蔑し、攻撃して滅茶苦茶にするということをします。

 

 何のために人を苦しめ、破壊するようなことをするのか、常人の理解を超えた猟奇的な悪というものほど、人間にとってゾッとするものはありません。たとえば、快楽殺人というのも、普通の人にとっては意味不明です。殺人までいかなくても、自分のちょっとした楽しみのために、他人の一生を滅茶苦茶にするほどの事をできてしまう人もそうです。肉体的な障害が残ったりはしなくても、その種の悪人の犠牲になってしまった人は、心理的に、どう思ってそれを乗り越えて良いのか分からず、そのまま凍り付いてしまいます。そして、自分がそんな事をされたという事実を、「自分は人からそんな事をされる人間だったのだ」という自分の価値として、受け取るしかなくなってしまいます。そもそも意味の分からないことで起っている災難に直面すると、それを跳ね返す意味を獲得することも、できないからです。

 

 そしてそのまま、時間も凍り付く・・・それがPTSDです。そのまま、いつになっても過去の事にならず、身の毛のよだつ外傷体験の現在に、閉じ込められたような毎日になります。

 

 また、猟奇的な悪に接して、甚大な精神的被害を蒙ってしまったりすると、それまで自分において成り立っていた世界観が、一気に崩れ去ります。想像を絶した悪が、現にこの世に存在していることを知ってしまうと、もう、それを知らずに済んできた世界には戻れなくなります。そこに住んでいる友人たちも、もう自分とは別世界の人になってしまいます。

 

  • PTSDの本質と、そこからの回復

 

 こうして、自分の人格の尊厳と、自分が生きてきた世界が破壊されるのが、重篤PTSDを引き起こす外傷体験だと考えられます。喪失したものが大きすぎて、自分と自分の世界を再建できない状態です。たとえば、自分の95パーセントが失われて、残りの5パーセントだけになってしまった時、その5パーセントに即席の新たなものを付け加えていこうとしても、自分が失ったものの大きさには及びがつかない、という感じです。それで、先に進めなくなるのです。何らかの仕方で自分と自分の世界が回復され、外傷体験の意味が消化され、適切な処理がされなくてはなりません。自分が生れてきてから築き上げてきた世界観が間違っていなかったことが確認されたうえで、そこに知見や修正が加わり、より総合的なものにされていく必要があると思います。多くの被害者が、まさにその人の美点ゆえに、加害者から目を付けられています(人格構造に異常のある加害者は、しばしば羨望の感情からターゲットを選んでいます)。被害者の悲しみは、その美点が逆に恥ずべき欠点だこととなり、自ら捨てざるを得なくなってしまったことです。でも、それは本来、どちらかと言えば美徳とされていい点だったのだということを再認識し、より総合的な知見と、しなやかな強さを新たに獲得し、自信を取り戻していく必要があると思います。

 

 PTSDは、単に嫌な経験をしたから起こる障害ではなく、自分が処理できない経験をしたから起こる障害です。ひとえに自己中心的なものとはいえ、加害者の思考回路に一応は人間の脈絡があることが分かるだけでも、とりあえず、知的な理解が成り立つ世界に戻ることができます。それは少なくとも、自分がその被害を、どのようにして乗り越えていけるかという手掛かりにはなるものです。少なくとも外傷体験となった事件について、自分には何一つ恥ずべきことなどなかったという自信を取り戻すことが大切だと思います。そうした知見を被害者に提供するものとして、異常者や犯罪者の人格構造を心理学的に分析することも、有用ではないかと思います。*1

 

echo168.hatenablog.com

*1:被害者が加害者を訴えて裁判に臨む場合、加害者の精神異常には、できるだけ触れないようにするかもしれません。ここではPTSDを解消するという視点に特化して、考察を行いました。