歪んだ心理空間における精神的被害

モラハラ、DV、ストーカー、セクハラ、性犯罪等における加害者心理と被害者心理

他人を貶める人の心理(2)投影同一視とは?

投影同一視(投影同一化)とは?

 

 自己愛性パーソナリティ障害や妄想性障害などの障害をもつ人は、自分で自分自身に認められないような醜い劣等感や恥ずべき感情、醜悪な劣った人格などを、他の人に「投影する」ということを行います。「投影」(projection)というのは、病気レベルでない話としては、不都合な事が起きた時の「責任転嫁」のようなものです。しかし、普通の「責任転嫁」が自己保身のために意図的に行われる策略のようなものであるのに対し、「投影」は全く無意識に、心の底からそうだと思って行われます。たとえば、自分が悪意をもって人を攻撃していながら、その悪意を相手に「投影」し、相手が悪い奴で、自分は被害者だと思い込むこともありますし(被害妄想)、自分が浮気性だと、その人間性を配偶者に「投影」し、配偶者が浮気をしているはずだと疑ったりします(嫉妬妄想)。

 

 普通の人でも、たとえば自分が何らかの性格を持っていると、人間にはそういうところがあるものだと思って人を邪推する、というようなことがあります。それも一種の「投影」だと言えるかもしれません。邪推された人は、濡れ衣を着せられるわけですから、当然良い気がしません。不都合が起きた時、自分の悪い部分を別の人に「投影」して攻撃すれば、自分はそれを批判する立場に立つことができますから、本来は自分に属しているはずの劣等性から解放された気分になれるだけでなく、目の前にいる人に対する優越感まで得ることができます。逆に劣等感を「投影」された相手は、それを肩代わりさせられることになります

 

 たとえば、よく物を失くす夫が、探し物が見つからない時に、妻に「お前は、いつも物を失くす。またお前が失くしたんだろう」と言って怒ると、怒られた妻は、本当に自分が失くしていないかどうか不安になって探し出します。こうして投影者の劣等感は、投影された側の人に移ります。このような現象を「投影同一視(投影同一化)」(projective identificationと言います。重篤なレベルの人になると、自分が努力して自分の欠点を克服する代わりに、一々「投影」を行って、自分の頭の中や話の上だけで、自己肯定するようになります。そして近くにいる人が精神を病んでいきます。身に覚えのない濡れ衣を着せられたと思っても、あまりに強い確信をもって攻撃されると、自分にそのように見える何かがあるのかと、自信がなくなっていくのです。「投影」は、他ならぬ投影者自身の感情や性格だから、相手が否定しようと何だろうと、投影者には人間とはそういうものだという強い確信があります(もう少し正確に言えば、他ならぬ自分自身のことだから、疑うべくもない強固な確信なのです)。

 

 「投影同一視」はただの悪口とは違い、これを行っている人は、心の底から事実だと思っています。また、単なる悪口と違って、「投影同一視」をする人は、それによって自分自身の欠点から解放されている、つまりその分の心理的負担がなくなっています。ちょうどその分の心理的負担が、被害者の方にかかるようになるので、「投影同一視」は、被害者にとって自分が汚されたと感じるものなのです。普通の悪口と違って、被害に遭った人がいつまでも嫌な気分が抜けないのは、相手が自分自身の全人生や全人格をかけて、自分の悩みを解消させているからです。

 

 普通の人にあるのは意図的に行われる「責任転嫁」のようなもので、あまり嫌な「投影同一視」など行う人はいません。自分が他人に擦り付けずにはいられないほど嫌なものを抱えている人など、普通はいませんから。

 

「投影同一視」の影響を受けないために

 

 「投影同一視」をしてくる人は幼稚で未熟な人格の持ち主で、そうした人が自分でも自分に認めたくないほどの酷く劣った性格や感情を、他人に押しつけてきます。彼らは<症状のない精神病者>で、自分がそうした劣悪な人格だということを認めると、自分が気が狂ってしまうから、そうならないように、他人にそれを投影します。そこで、投影を受けた人は、思ってもみないほどの貶めに遭い、大変不快な思いをすることになります。本来、自分とはかけ離れた低い性質を押し付けられるからです。「一体どこからそんな話になるんだろう?」と感じて憤慨しなければならないようなことがあったら、それは「投影同一視」です。

 

 特に、被害者が「投影同一視」の影響を受けてしまっていると、自分に何かそのように見えるものがあるのかとか、そのように扱われても仕方ない理由が自分にあるのか、といったように、自分が自分のあり方を気にしなくてはならなくなります。しかし、これを跳ね返すのは、理屈が分かれば難しいことではありません。

 

 実際のところ、「投影」をする人は、単に、自分のコンプレックスを述べ立てているだけなのです。だから、その人のセリフの中の一人称と二人称を入れ替えて聞けば良いのです。その人の性格についても、正確な理解ができます。他人に対する非難や悪口は、すべて自分自身の性格について述べたものです。だから、たとえば「お前はなんてバカで幼稚なんだ!」と言ってきたとしたら、「俺はバカで幼稚だ!」と言っていると思えば、それで間違いないでしょう。自分の一番気にする自分の欠点を、わざわざ大声で申告してくるのです

 

 「お前は強調性がない!」と言ってくる人は、「俺は強調性がない!」と言っている、「あなたはしつこい!」と言ってくる人は、「私はしつこい!」と言っている、「お前はヒステリックだ!」と言ってくる人は、「俺はヒステリックだ!」と言っている、「あなたは頭がおかしい!」と言ってくる人は、「私は頭がおかしい!」と言っている・・・という具合です。面白いことに、頭に来て一生懸命に他人の悪口を言えば言うほど、自分自身が気にしている自分の欠点を、具体的にたくさん並べ立ててきます。

 

 ギャーギャーと喚いて罵ってきたら、「ああ、この人は、こういう事を気にして悩んでいるんだな」、「こんなに喚かなくてはならないほど、苦しんでいるんだな」と思ってあげましょう。非難されて罵られている人の方には何一つ落ち度はありませんので、間違っても自分の問題として引き受けないように致しましょう。

 

 「投影」のからくりを暴いて、使えなくしてやりたいところですが、そうすると彼らは逆上して狂ってしまいますから、被害者が心の中で納得するしかありません。自分が狂わないで生きていくために、他人を貶める人たちですから、本当は、離れるしかない人たちです。

 

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2020.8.2

「投影」と「投影同一視(化)」との違いについて、捕捉しておきました。

後者は、投影を受けている人が、非難されている通りの状態になるという、世にも恐ろしい現象です。

 

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